イブキの春の天皇賞 ('92春)
     イブキが出た春の天皇賞を、僕は府中のスクリーンで見ていました。レー
    ス後、なんだかとても複雑なため息をつきながら、友人と正門にむかって歩
    きました。--------それで、きみはなにを買っていたのかね。僕はなにも買
    わなかったのだよ、じつは。友人にたずねてみると彼は、イブキの単勝1点
    勝負のうつくしい馬券を見せてくれました。

     おお。なんて偉い奴なのだろうと感心していると、うっと立ち止まる彼。
    ベンチに座る二人連れを見て凍りついています。…………うっ、あれは。競
    馬好きで名高い、演技の素晴らしさではもっと名高い俳優夫妻。特に寺山フ
    リークにはたまらない二人。--------行け、今なら話せる。この、グレート
    レースの果てたあと、このざわめきの中ならば。僕は友人をけしかけました。

     「あのあのファンなんです、サインをお願いできますか?」
     「いいよ。何に書こうか。」
     「あのあの、今これしか書くものがないんですけど。」

     友人は、イブキの単勝馬券を差し出したのです。--------クールな表情が
    似合いすぎるその俳優は、差し出された馬券を見て、とてもやわらかに笑い
    出しました。

     「イブキか(笑)。頑張ったね。好きなの?」
     「はい、そうなんです。」
     「はい。書いたよ。」
      「イブキね(笑)。惜しかったわね。」

     となりにまします美しいアクトレスまでも、その名ににっこり微笑んでく
    れました。

     礼を言って僕たちは、ふたたび正門へ歩きだしました。すごいな。信じら
    れないよ。見たかあの二人のうれしそうな顔を。うんうん見た見た。きっと
    彼らもイブキが好きなんだ。--------僕たちはほとんどスキップを踏みそう
    になりながら、後ろを振り返りたい気持ちを必死に抑えて歩いたのでした。
    イブキマイカグラ。みんな彼が好きだったんですね。

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